2013年6月15日土曜日

モテないし アンドロイドになる

 ジリリリリリリリリリリ、ガタッ。
 バサッ。
「……ファースト、起動しました」
 私はベッドから起き上がり、そうつぶやいた。
 周囲の状況を確認。異常なし。
 カーテンを開け、外を確認。異常なし。
 今日も1日が始まる。

 私は、黒木智子。そしてアンドロイドでもある(設定)。
 以前無表情キャラを通して失敗したが、今回は違う。
 なにせ、思わず笑っちゃったりしてもそれはロボットが感情を得た的展開のテンプレでしかない。
 そして、人間ではないということがバレるのを恐れて、人と関わろうとしない(という設定)。
 これなら、普段とほぼ変わらずに過ごすことができる。
 完・璧。
 ちなみに今の設定は長○とホ○イゾンが混ざった感じというイメージ。
 欠点を補いあって、まさに完・璧(大事なことなので)。

 一時間目。
 私は正確に黒板の文字を書き写す。
 ……しかし、アンドロイドらしさを出すために真面目に授業を受けているが、アピールできているのだろうか。
 もうちょっとアンドロイドらしく、背筋を伸ばしてみるか。
 カリカリカリカリ。

 二時間目。
 休み時間に寝たふりをするのはアンドロイドっぽくないから、背を伸ばしてじっと前を見続けていたから背中が痛い、くそっ。
 アンドロイドなら自分を自分でメンテナンスしたりするんだろ。治れよ。
 ……まあいい。
 黒板を真面目に写す作業に戻ろう。

 三時間目。
 体育では、アンドロイドである以上活躍をできなければいけない。
 今日は幸いなことに体育測定で、ぼっちにも優しい。
 これはがんばらなければ……。
 リミッター、解除。
 全力を出させてもらう。

 四時間目。
 ぜー、はーぜー、ぜーはー、くそ、なぜなんだ……。
 ただボールを投げて走るだけだと思ったら、まさか今日は持久走だとは……。
 疲れを見せず一定のペースで走り続けなければならなかったのが一番辛かった……。
 さらに、水を飲みまくったせいで気持ち悪い……。
 体勢だけ整えて、頭では何も考えないでこの時間はやり過ごそう。
 つまり、スリープモードに入る。

 昼休み。
 アンドロイドだって昼飯は食う。
 少なくとも私の知っているアンドロイドは食べる。
 というわけでいつもどおり弁当をつつきながら、(BL小説で)人間について学ぼう……。
 人間、興味深い。

 五時間目。
 くっ……。
 うううううう……。
 くそっ、大事なことを調べ忘れていた……。
 アンドロイドってトイレにも行くのか?
 いや人間に似せて作られたんならトイレだって行くかもしれないけど、あくまでロボットだからトイレなんていかないんじゃないか?
 もし性感センサーが付いたアンドロイドだったら衝動を抑えるためにトイレにも行くのかもしれないが……。
 しかし今の設定はもっと普通の健全なアンドロイドってことにしてしまっている。
 家に帰ればメンテナンスってことでトイレにも行ける気はする。
 水を飲み過ぎていなければそうするんだけどな!
 身体がちょっと震えているような気もするぞ……。。
 今日は珍しくここまで完璧にできていたのに……。
 どうする、どうする智子!

 放課後。
 ジャーーーーー。
 バタン。
 あー、スッキリした。
 やっぱ私人間だわ。





2013年6月13日木曜日

森博嗣「小説家という職業」を読み、考えたこと

インプットとアウトプット
森博嗣はインプットとアウトプットをしないといけない的なことを言っていた
しかし、一般人というのはそのインプットが不十分だからこそアウトプットもしないのだろう

「インプットばかりしていると、どうしても満腹になる。だから消化をして、運動をして、エネルギィを使わなければならない。
(中略)
一度読んだらストーリィを忘れることはまずない。あるとしたら、本で読んだことか自分の経験だったか、がわからなくなる。そのくらい本の内容を自分の体験と同レベルでインプットしてしまうのだろう。
(中略)
そういうわけで、1冊読んだら1冊書く、というのがバランス的に良いかもしれない。」
森博嗣「小説家という職業」――集英社新書 P25~27より


さて、いきなり引用から入ってしまった。
森博嗣の「小説家という職業」という新書を読んだとき、まだ始まったばかりのこの引用部分あたりで衝撃を受けた。
私は本を読む。
最近はペースが落ちているとはいえ、読むときは一日一冊、読まない時でも週に一冊は読むようにしている。というより、思わず読んでしまう。
しかし、森博嗣は、一冊本を読むたびにそれを自分の経験として取り込んでしまう、という。
自分は全くできていない。
むしろ、先の文章と同じ場所にあげられていた「読書家」と同じで、「読んだ端から忘れてしまう」のだ。
自分は、一冊の小説から十分な何かを取り込めていない、のではないだろうか。
そうやって、インプットが十分にできていないからこそ、たくさん本を読もうとするのかもしれない。


さて、森博嗣は小説家であり、大学教授でもある。
あくまで小説家は副業だ。
そして、特に小説が好きなわけでもないらしい。
小説を読むのは、多くても年に数冊と書かれていた。
しかし、年に何冊もの小説を出版している。
インプットとアウトプットが(小説だけを考えると)バランスよく為されている。
翻って、自分はどうか。
一年に読む本は少なくとも100冊は超えているだろう。
しかし、それでは何かしらの形でそれをアウトプットしているだろうか?
否だ。
バランスが非常に悪い。


この違いはどこから来るのか。
それは、冒頭に引用した文章から分かる。
森博嗣は、一つ一つのものからのインプットが大きいため、満腹になりやすい。
そしてそれを、小説や趣味(森博嗣の趣味の一つに工作がある)などにアウトプットしなければならない。

それに対して自分は、一冊の本からほんのちょっぴりしかインプットできていない。
運動をして使うほどのエネルギィも溜まらないまま、ゆっくりと消化していってしまう。
その結果、満腹になることがなく、飢え、また新たな本を求める。
これを繰り返しているだけなのだ。


書こう。
とにかく満腹でなくても書き続けて、腹を空かしたらまた本を読み、そうしたらまた書き続ける。
自分のようなものが小説を書くには、それしかないのかもしれない。

「小説家という職業」の帯には、
「毎日、時間があったら作品を書こう。ブログなんか書いている場合ではない。」
という文章が含まれた一文が書かれている。
そしてもう一文には、
「僕は処女作を書いている途中で、この物語の世界がどんどん広がるのを感じた。」
という文章もある。
小説を書くには、読むのが好きかどうかではなく、とにかく書き、そしてそこに何らかの目的や欲求を持てるかが重要なのだろう。

これからは、もっとアウトプットをしていこう。
と、自分の中では結論づけようと思う。
今年度上半期で、最も多くのことを考えさせられた読書だった。


以上。

2013年6月9日日曜日

はじめに

自分が創作に対するモチベーションを保ち続けるにはどうすればいいのか、といろいろと考えました。
その結果、その時のマイブームに合わせたものをその時々に書いていけばいいんじゃないか、という考えに至りました。
そこで、このブログでは、何かしらの作品に影響を受けたものを書いていきたいと思っています。
影響を受けたもの、と言っても二次創作に限らず、ただの感想だったり、論考のようなものだったりするかもしれません。
共通するのは、ただ、何らかの作品に影響を受けたもの、というだけです。
そうすれば、気楽に書き続けていけるのではないか、と思ったのです。

というわけで、次回の更新からは、先述した内容のどれかの記事が投稿されていく予定です。

がんばっていきたいと思います。
それでは。